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今日の買い物

1999年12月

1999/12/31

大晦日ですわ。あと数時間で西暦2000年になりますね。コンピュータが誤作動して何か予期せぬできごとが起こったりするんでしょうか。おいらは別に心配してません。根拠はないけど、たぶん大丈夫です。それに、何が起こるか分からないわけだから、起こる前に心配してもしょうがないです。実際に起こってみないと対処の仕方がわかりません。

とはいえ、うちには食料や水の備蓄がいくらかあります。妻が気をきかせて用意してました。数日は、飢えることはないでしょう。だからなおさら、大丈夫です。


大晦日の今日、こうやってホームページの更新をしてるわけですが、読む人いるんでしょうか? 2000年問題対策で会社に泊まり込み態勢の人とかは、もしかしてチェックしてるかもしれませんね。ご苦労様です。

たぶん世界中のあちこちで、ものすごく大勢の人たちが、2000年問題対策をしてくれていると思います。だからなおさら、大丈夫です。


でも、たとえば北朝鮮の核兵器施設で技術者が泊まり込みでコンピュータの動作を見守ってるとしましょう。2000年にあと数分くらいになると、みんなで時計を見つめつつ、緊張したりするんでしょう。そしてちょうど2000年になった瞬間、特に変わったことは起こらなかったとします。技術者の皆さんは「ほっ」なんて安堵のため息をついたりして、やおら冷蔵庫からビールを持ち出して乾杯したりすると。でもコンピュータのクロックが狂っていて、ビールを飲み始めたときにおかしな動作を始める。技術者はこのとき既にぼんやりしていて対処できず、ヒュ〜とかいって日本宛ての核ミサイルが飛んで行く。

なんてことは、ないですよね、たぶん。


んじゃ、また、来年。

といっても、明日なんだけど。だから、「んじゃ、また、明日」、というのと同じ意味です。

ああ、いや、違う。明日は休むかもしれないから。

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1999/12/30

武蔵の池でヘラブナチームと対戦してきた。ヘラブナチームの圧勝だった。1日やって11枚とはおそまつなことで。武蔵の池には湧くほどヘラブナがいるはずなんだけど、おいらのエサを食ってくれるヘラはほんのわずかだったみたい。難しいや。

ここのところ日本中でヘラブナ釣りが大流行していたと思うんだけど、その流行もそろそろ終わりなんじゃないかと思われる。NHC(日本ヘラクラブ)なるトーナメント団体が創設されたり、人気の浮子にはプレミアム価格がついたりと、特に若い人たちの間で大流行していたがここへきて収束しつつあるように思われる。

私見では、次はバス釣りが流行するんじゃなかろうか。これからはバス釣りっすよ。たぶん。


うちの近所に家具屋がある。ここに引っ越してきたころちょうど店じまいセールをやっていたので食器戸棚やら箪笥やらを買ったものだ。

あれから2年半が過ぎた。その家具屋はまだ店じまいしていない。いまだに店じまいセールをやっている。ときどき店じまいセールが行われるんじゃなくて、引っ越してきたころからずっと店じまいセールを続けている。

店じまいがいつなのか楽しみだ。予断を許さない。

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1999/12/29

今日から冬休みだ。冬休み初日の今日は大掃除だ、と思ったのだけど、これまでの10日間ほどで妻があらかた済ませていたのだそうだ。なので、特別、やることはない。だけどせっかく釣りを休んだのだから、水槽の掃除をした。

水槽に沈めてある珪化木をタワシで擦り、水槽のガラスをタワシで擦り、フィルターを水洗いし、伸び伸びになっていた水草を剪定し、最後に3分の1ほどの水を入れ替えた。掃除してからしばらくはおおいに水が濁っていたが、じきに澄んできて、今はとてもきれいだ。


今日のジャム。

ディスプレイをふさぐジャム/12kb

イスタンブールで乾物屋を営むかたわら、パッチワークにも精を出す双子の兄が遊びにきたときのこと。夕食後しばらくジャムの相手をしていた兄は、いいかげん、飽きてきたらしく、Macintoshの電源を入れ二角取りをやり始めた。兄の視線は当然ディスプレイに向けられる。ジャムは今、誰からも注目されていない状態だ。

だれからも注目されていないことが気に入らないジャムは机の上に飛び乗り、悠然と兄の目の前を徘徊し始めた。最初のうち兄はジャム越しにディスプレイを覗き込んでゲームを続けていたがそのうち諦めたらしい。いまや、ジャムの頭を撫でている。ジャムは満足そうにしている。ゴロゴロとのどを鳴らして、いとおしい気持ちになっているようだ。

膝で眠るジャム/11kb

ジャムが邪魔しにきたときはうっとおしそうにしていた兄も、ゴロゴロとのどを鳴らしながらなつかれては、怒る気も失せ、いとおしい気持ちになっているようだ。

そんな兄の心持を見透かしたのかどうかは知らないが、しまいには、ジャムは兄の膝の上に飛び乗った。そして、撫でられながら気分よさそうに眠ってしまった。

ジャムはわがままであまえんぼうだ。



浮子まであと2日。もうもらったも同然。

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1999/12/28

明日から冬休みです。今日はのんびりとした気分です。本でも読もうかと思うくらいに、のんびりとした気分です。

本といえば、『麻雀放浪記』なんですが、今は第4巻を読んでます。集中して読み出せば、明日にでも読み終わってしまうでしょう。でもだいじょうぶ。その次に読むべき本は買ってあるのです。次に読むのは『ドサ健ばくち地獄』です。これもまた、コクのあるいい話しです。いい話しであることはわかっているのですが、ストーリーなど、詳細なことはほとんどすべて忘れているので、また楽しく読めるでしょう。

読書室という専用の空間があれば、なお楽しく読めそうで、いいですね。うちにもひとつ、読書室が欲しいものです。それと、できれば、木工室もあるといいですね。あとは5m四方くらいの巨大水槽があれば、そこにヘラブナなりバスなりを飼って、生態を研究できていいのですが、大富豪にでもならないと無理ですね。

そういう意味で、大富豪にはなっておきたいものです。

今日のジャムはお休みです。

浮子まであと3日。

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1999/12/27

昨日は臨時収入があったから、今日は浮子ケースを買った。これまで使っていた浮子ケースは短めで、長い浮子が入らない。なので長い浮子ケースを買った。これで長い浮子も買える。

ホームページの更新を年内休まずに続けたら浮子を買ってくれると妻が言っている。ここまで休まずに続けてきた。あともう少しだ。この分だと、ほぼ間違いなく、浮子をプレゼントしてもらえると思われる。なので買ってもらうべき浮子を考えた。底釣り用の浮子を買ってもらおうかと思っている。月山という名前の浮子で、これの1、2、3号を既に持っている。妻には、これの4号を買ってもらおうかと思っている。そして、自分で5号を買えば、浮子ケースにきれいに並んで気持ちいい。楽しみだなぁ。


今日はジャム大サービスだ。全国のジャムファンから続々と届く暖かい励ましのメールに応えるべく、今日はジャム大サービスだ。題して、「ジャムあれこれ」。

つまらん題だなぁ。

そんなこと、気にするな。

ふてくされたジャム/11kb

最初のジャムはふてくされたジャムだ。どういうつもりか知らないが、ふてくされた表情をしている。シャッターを押した瞬間たまたまこういう顔になっていただけで、不愉快な気分になってるわけではないと思われるのだけど、まぁときにはこういう顔もするということで。


眠っているジャム/13kb

次のジャムは眠っているジャムだ。ジャムといえばこの顔、ともいうべきジャムの代表的な表情がこれ。ジャムというネコのかかわいらしさが存分に発揮されている。こんなジャムを見て愛さずにいられる人がいるとは考えにくい。


すましたジャム/9kb

最後のジャムは、これがほんとにジャムなのかと言いたくなるようなジャムだ。夕日を浴びてすました顔をしている。首を伸ばしているせいで、体つきもいつもよりほっそりとしているように見える。写真の陰影の具合も、実際以上にジャムをかっこよく見せている。これならエジプトのピラミッドの壁画に描かれても恥ずかしくない。ネコ界に「着物の似合うひとオーディション」があるのなら応募してみてもいい。ジャムが執筆した本が出版されたあかつきには、著者紹介の写真としてこれを使うべきだろう。


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1999/12/26

木下さんがうちにやってきた。ジャムはいきなりなついていた。ひとなつっこい猫なのです。

木下さんにはバイクを買ってもらった。おいらにとってはちょっとした臨時収入だ。とりあえず、浮子を買おうかと思っている。浮子ケースも買おうかしら。

今朝は8時に起きた。バイクを木下さんに渡さなければならない。しかししばらくほったらかしにしておいたのでエンジンがかからないに違いない。バッテリーは先週のうちに外して充電しておいた。でもセルを回したくらいじゃかからない。なので朝食のあと、熱湯をかけてからセルを回すなどしてエンジンをかけた。押しがけしなきゃかからんかと思っていたが、熱湯をかけたおかげでなんとかセルでかかった。しばらくかけっぱなしにしておいた。その間に汚れを落としたりもした。

ここのところまったく乗っていなかったのだからもやはおいらはバイクを全然必要とはしていないのだけど、無くなるとちょっと寂しいような気はするなぁ。

では今日のジャム。

何かを見るジャム/15kb

右の写真は友人からあずかっているネコのジャムだ。ネコのジャムといっても、ネコを原材料として作ったジャムじゃない。ネコであるジャムだ。ネコであるジャムが何かを見ているところ。

食卓のところの椅子に乗って何かを見てるみたいです。まぁ今日のところはそれだけです。特筆すべきことが思い付かない。というか、特筆すべきことを考えるのが面倒だ。だからこれだけ。でも上を見ている表情がかわいらしいので、ネコが大好きな読者のみなさんにも見せてあげようかと思って。

オレってけっこう親切だな。


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1999/12/25

お誕生日おめでとう。

これはキリストに対してじゃなくて、友人の蛭川君に対して言っている。

性懲りもなく今日も武蔵の池に行ったのよ。いやはや、釣れないわ。1日やって13枚。ほんと、下手ね。釣りの才能ないな、とか思う。でも好きなんだよな。好きこそ物の上手なれ、なんて言うけど、おいらには当てはまってないみたい。やれやれ。

ここらでジャムいっときますか。

狭いところに入るジャム/16kb

右の写真は友人からあずかっているネコのジャムだ。ネコのジャムといっても、ネコを原材料として作ったジャムじゃない。ネコであるジャムだ。ネコであるジャムが狭いところに入っているところ。

ジャムは狭いところが大好きだ。押入れの中や洋服ダンスの中や洗濯機の中に、入るチャンスがあれば入ろうとする。たとえば、洋服をたたんで引き出しを開けて片付けようとすると、ジャムは引き出しの中を覗き込み手を入れそして飛び込もうとする。これまで閉じていたところが開くと、とりあえず新しい世界に行ってみたくなるのかもしれない。

写真のジャムはPCの上に乗っている。ジャムの右にあるのはスキャナで、ジャムの左前足のところにあるのはシリアルケーブルの切り替え器で、ジャムの上にあるのはキーボードだ。ジャムの左にはキーボードを載せるためのスタンドの脚がある。ジャムは、かろうじて身を置けるだけのわずかなスペースに身を置いて、いい気になっている。悦に入っているようにも見える。自慢げにも見える。しばらくほっといたらそのままそこで眠ってしまうようには見えないが、そう思われはする。

ちなみにジャムは今、キーボードの上で丸くなって眠っている。


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1999/12/24

テレビを見ていたのであまり書く時間がない。NHKスペシャル・映像の世紀アンコール5「世界は地獄を見た」というやつを見ていた。世界の各地でとても多くの人々が殺されていた。ひどいことになっていた。地獄というのも嘘じゃない。見ててちょっと息苦しかった。

しかしまぁ人間というのはバカなものだね。道に唾を吐くのもそうとうバカなことだと思っているのだけど、それどころのさわぎじゃない。やだなぁ。

特攻隊ってあるじゃないですか。暴走族とかのことじゃなくて、飛行機に乗って敵に激突して自爆するという本来の特攻隊ですわ。特攻隊がぶつかっていく映像も出てたんだけど、あれは怖いと思う。特攻隊が迫ってくる恐怖を味わったアメリカ兵に感情移入して見てたんだけど、あんなのに向かってこられたらむちゃくちゃ怖いですよ、きっと。

つきなみですが、戦争はいかんと思う。そんなことせずに、人類は、釣りをせよ。

そんじゃ、おやすみなさい。

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1999/12/23

今日もまた、武蔵の池に行ってきた。メーテルのほかに、モリユキも好きだったという吉崎さんと一緒だ。

午前中は10尺テンテンでがんばっていた。いかにも中途半端なタナで、あまり釣れないように思われたけど、無理矢理寄せて釣ってやろうと思っていた。が、4枚しか釣れなかった。午後は段差の底に変えてみた。でもこれも芳しくないので、段差じゃない普通の底釣りに変えた。が、これも芳しくない。だんだんやる気が無くなってきて、風が出てきたところでへこんだ。惰性で続けていたら、そのうち風がおさまった。ちょっとやる気が出てきた。終了まで残り30分の2時半ごろ、ようやく釣れた。かなり小さなアタリだった。その後2枚パタパタと釣れておしまい。最後の30分はけっこういい感じだったけど、1日全体を見ると今日は惨敗。次回への意欲が湧いてくる。


あまえるジャム/15kb

右の写真は友人からあずかっているネコのジャムだ。ネコのジャムといっても、ネコを原材料として作ったジャムじゃない。ネコであるジャムだ。ネコであるジャムがあまえているところ。

ジャムは人間がいるところについてくる傾向がある。人間の視線が集まっているところに身を置く習性もある。いずれにせよ、人間に意識されている状況が好きなようだ。

写真の人間はイスタンブールで乾物屋を営む双子の兄だ。仕入れのために日本に来たついでに、うちにたち寄った。兄が寝室に行くとジャムはそのあとをついてきた。兄が布団の上に寝転がるとジャムはすかさず擦り寄って、毛布の上で足踏み運動を始めた。ゴロゴロと喉を鳴らしながら、毛布の一端を噛み、前足でその場行進する。これはたぶんお母さんからお乳をもらうときの動作の名残で、愛情表現なんだと思う。

兄に擦り寄りつつこの愛情表現をしているところを写真に撮ろうと妻がカメラを構えたところ、カメラを意識したせいか、足踏み運動を中断し丸く縮こまりレンズを見つめてしまった。意図せず丸まったジャムを撮ることになったのだが、これはこれでかわいいのでよし。

写真からはよく分からないかもしれないが、兄の表情からはジャム煩悩ぶりがうかがえる。


双子の兄というのは嘘だ。おいらには、兄はいない。

しかしそしたら写真の人物は誰なんだ?

それはおいらにもわからない。


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1999/12/22

武蔵の池に行ってきた。初恋はメーテルだったという吉崎さんも一緒だ。

午前中は段差の底をやっていた。しばらく待たないとあたらないけど、あたればまずまずの確率で乗って、12枚。午後は8尺テンテン。カラツンが多かったけど、ときどき乗って、12枚。ということで合計24枚。おいらにしてはよくやった方だ。


遊ぶジャム1/14kb

右の写真は友人からあずかっているネコのジャムだ。ネコのジャムといっても、ネコを原材料として作ったジャムじゃない。ネコであるジャムだ。ネコであるジャムが輪っかで遊んでいるところ。前足でつまんでいるベージュっぽい色のものが分かるだろうか。髪の長い人が髪を束ねて結わえておくための環状のゴムだ。ジャムはこの輪っかを獲物に見たててひとりで遊ぶことがある。ほぼ毎日1回は、この輪っかを追いかけ回す。

遊ぶジャム2/13kb

ジャムはこの輪っかが大好きだ。あるとき妻はこの輪っかを箪笥の上の小物用引き出しにしまっておいた。しかしジャムは輪っかの所在をどういうわけだか嗅ぎ当てたらしい。箪笥に飛び乗り、引き出しをこじあけ、輪っかを引っ張り出したという。妻が気付いたときにはすでに、探り当てた輪っかで遊んでいたそうだ。それほどこの輪っかが大好きだ。

ジャムはこの輪っかが転がっていさえすればどこでだって遊ぶのだが、これら写真の場所で遊ぶときがもっとも激しい。2番目の写真のように、テーブルの脚の周りを回転しながら輪っかを追いかける。その様子を見ていると、バターになってしまうんじゃないかと心配にすらなってくる。でもだいじょうぶ。ジャムはバターにはならない。バターになる前に輪っかを勝手に放り出すから。

遊ぶジャム3/16kb

最後の写真は思わず輪っかを放り出してしまったときのジャムだ。追いかけていた獲物が逃げ出してしまったもののまだ射程距離内にある、という想定だろうか。柱の陰に身を潜めつつ、というか潜めたつもりになって、獲物にそおっと手を伸ばす。そおっと手を伸ばし、触れた瞬間、自分の手ではたいてしまう。わざとやってるんだかそうでもないのか、自分ではたいて輪っかを動かす。するとその瞬間的な動きに本能的に反応して、追っかけっこがまた始まる。自分が原因で起こったアクションにリアクションバイトするみたいなもんだ。賢いのかおバカさんなのか、判然としない。

しかし敢えて判断するなら、おバカさんの方だろう。そんなところが、また、かわいいのだが。などと、ジャム煩悩ぶりを発揮してしまった。


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1999/12/21

天気図を見ようと思ってテレビをつけっぱなしの状態にしてウドンエサを作っていた。NHKの9時のニュースを流していたのだが、天気図を見ることはできなかった。ちょうど天気予報が始まったとき、ウドン作りの真っ最中でテレビに目を向けることはできなかった。ニュースの音声をうわの空で聞いていて、明日は寒いということを確認しただけに終わった。天気図が表示されたかどうかも分からない。

ウドンができあがり鍋や計量カップを片付け終わったとき、NHKのニュースは終わっていた。もうすでに、次の番組が始まっていた。その番組をなんとなく見ていたら、なんだか目が離せなくなって、結局しまいまで見てしまった。もう今は11時だ。あまり時間がない。明日の朝は早いのに。

その番組では第1次世界大戦の記録映像を流していた。大量殺戮兵器によって兵士が死んだりしていた。毒ガスとか戦車とか大砲とかって、けっこう怖いね。特に戦車はかなり怖い。あんなのが自分の方に向かって進んできたら、諦める気分になるに違いない。なんだか、暗いというか重いというか、そんな気分になってしまった。明日の朝は早いのに。

もうお分かりでしょう。明日は会社を休んで釣りに行きます。大宮の武蔵の池でヘラ釣りしてきます。ウドンというのはそこで使うためのエサです。

明日の朝は早いので、これくらいにしておきます。

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1999/12/20

今日は買い物はなし。おしまい。

これで許されるなら浮子への道は短く緩い。今日の1曲目、Chanpur DKI,“Hitam Manis”。

しばらく読み続けていた『家畜人ヤプー』(幻冬社文庫で全5巻)を先週末に読み終えた。今週から何を読むか、昨日の段階で思案した。本屋に行って探したり選んだりするのは面倒なので家にあるものを読み直すことにした。さらに、読み出したら当分の間読み続けられるものを選ぶことにした。つまり、「選択する面倒がなくて、かつ、長い間楽しめる本」を読むことにした。

本棚をざっと見渡してこの条件に合うものがいくつかあった。

1.三国志、岩波文庫で全8巻。年内に読み終わることはないだろう。しかも、読み出したらわくわくして楽しいだろう。三顧の礼とか赤壁の戦いとか泣いて馬謖を斬るとか五丈原の戦いとか、それはもう見所満載。オレも軍師になるかな、しかし今の世に仕えるべき君主があろうや、草の庵に閑居せずしてなんとする、なんて、夢想も膨らもうというものだ。

2.江戸川乱歩あれこれ。春陽堂の文庫本が14冊ある。順番に読んでいけば当分飽きずに楽しめる。ミステリー、サスペンス、そして猟奇の虜となって、ドロリンとした愉快な気分を味わえるかも。たしかにこれも、悪くない。

3.阿佐田哲也あれこれ。角川文庫を始めとした文庫本が15冊ある。これらも条件をきっちり満たす。定番の「麻雀放浪記」全4冊いっといて、その次は「ドサ健ばくち地獄」全2巻だ。と思ったら、「ドサ健ばくち地獄」が無いぞ。どうしたんだろう。紛失しちゃったのか? まぁいいや。これを機にまた買おう。とにかく、こいつらを読んで、オレもばくち打ちになるかな、ヘヘヘ、などと夢想を膨らますのも悪くなかろう。

ここで思い出。学生のころ阿佐田哲也一式を読んで、例のごとく影響を受け、積み込みの練習を始めた。アパートの6畳間にコタツを置き、板をひっくり返し牌を広げる。ガラガラと1人でかき混ぜ、散らばった牌を満遍なく見るともなく見渡し、必要な牌を手早く集め積んでゆく。この練習を30分くらいやったところでハタと気付いた。いまどき手積みの麻雀なんてやらないよ、自動卓だよ。というわけで、積み込みの練習は30分しかなされなかった。

本筋に戻って、結局おいらは1、2、3のどれを選んだでしょう。

答えは、3の阿佐田哲也です。今日からさっそく「麻雀放浪記」を読み始めた。坊や哲が出目徳に出会ったところまで読んだ。これからいろいろ出目徳に仕込まれるんだっけ。そんでドサ健の目の前で一世一代のイカサマするんじゃなかった? でも出目徳は死んじゃうんですよね。そんで裸にされて土手を転がされたりして。そんとき、ドサ健はなんて言ったんだろう。ああ楽しみだ。

それでは今日の2曲目、Bob Marleyの“Get up Stand Up”をききながら、勇気を出してお別れです。くすん。

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1999/12/19

目を覚ましたのが9時だった。中途半端な時間に起きた。釣りに行くのはやめにした。代わりに洗濯したり買い物に行ったりした。そのあと特製計量カップを作った。

ヘラブナ釣りのエサは多くの場合、計量カップで分量を計って作る。たとえば、浅ダナ1本をカップに2杯にバラケマッハをカップに2杯、そこに水をカップに1杯入れてかき混ぜる、というように、分量を計って作る。ヘラ雑誌やヘラビデオでは、多くの人が200ccのカップで計って作っているが、おいらが思うには、これでは大き過ぎる。あまりに多くのエサができ過ぎちゃって、使い切れずに捨てることになる。

なのでおいらはいつも150ccもしくは75ccのカップで作っていた。しかし150ccではまだ大き過ぎる。かといって、75ccでは若干小さい。これらの中間だとちょうどいいんだけどなぁ、などと、ずっと前から思っていた。思ってはいたものの100cc程度のカップが見当たらなくて、妥協していた。

そこで今日、時間があったので作ることを思い付いた。もうすっかり使われていなかった200ccのカップがあったので、そいつを切って作ることにした。ちょうど110ccになる位置で切り取った。カッターナイフで切りとって、切り口にサンドペーパーをかけただけ。たったこれだけのことをなぜ今までやらずにいたんだろう。不思議だ。


今日の晩ご飯のおかずはマグロの刺身だった。我々人間が食べる前に、ネコのジャムに2切ればかりあげた。細かく切り刻んで小皿にのせて与えてみたら、むさぼるようにたいらげた。ジャムがたいらげたところで我々人間は食べ始めた。我々が食べているときジャムは台所のあちこちを物色している。冷蔵庫の上に乗って食卓を見下ろしたりもする。マグロの刺身が丸見えだ。ジャムの目がキラリと光った、ようにも見えた。

冷蔵庫の上から食卓に飛び乗られてはかなわんので、もう数切れあげることにした。妻は食事を中断し数切れの刺身を切り刻み、小皿にのせてジャムに与えた。ジャムは小皿が差し出された瞬間からむさぼるように食べ始め、きれいにたいらげた。たんねんに舐められた皿はピカピカになっている。

我々は食事を続ける。ジャムはまだ落ち付かない。テーブルのまわりをうろついて、あちこちで鼻をクンクンとさせている。我々はそ知らぬふりで食事を続ける。マグロの刺身が残り数切れになった時点でおいらも妻もおなかが一杯になっていた。あと数切れなら食べられないこともないのだが、無理して食べることもない。なので最後の数切れもジャムにあげることにした。ジャムは今回もまた、わずかなかけらも残すことなくきれいさっぱりたいらげた。

ジャムはマグロが大好きなようです。

1999/12/18

今日はびん沼でヘラ釣りした。とは言えん。ヘラ釣ってないから。20cmくらいのニゴイは3匹釣れた。50cmくらいありそうな鯉も釣れた。鯉なんて全然釣りたくなかったんだけど、釣れてしまった。ふつうこのくらいのサイズの鯉がかかるとハリスが切れるんだけど今日は切れなかった。3分くらいやりとりしてようやく上がってきた。嬉しいやら悲しいやら。正直な気持ちとしてはとっととハリスが切れてくれた方が手間がかからなくていい。でも鯉のことを思いやるならちゃんと取り込んで針を外してやった方がいい。

釣り人が魚類保護のことについて意見を言ったりすることがある。子供だらけの某有名BBSなんかでいかにも話題に(あるいは喧嘩に)なりそうだ。

で、ここからおいらの見解。の予定だったけど、まとまらないや。まとまらないけど、思い付いたことを並べてみると以下のとおり。

外道も可哀想だからハリスが切れたらいかんと思うなら、切れない仕掛けでやればいい。たとえばヘラ釣りであれば、1mくらいの鯉が掛かっても切れない仕掛けでやればいい。竿もヘラ用じゃ無理だ。もっとゴツイ竿でやってくれ。しかしそんなのヘラ釣りと言えるかな? この見解の人は釣りをやめることを検討してみてもいいだろう。

外道も可哀想には思うけど、外道がかかったらハリスは切りたいと思うなら切ればいい。ヘラ釣りしてるときのおいらの態度はこれだ。鯉に対して乱暴な扱いはしないけど、ハリスは切れてくれた方がいいと思っている。さっさと切れた方が場が荒れなくていい。

外道なんて全然可哀想に思わないなら、そのように扱ったらいい。クチボソとかブルーギルとかがかかると陸に投げ捨てて殺してしまうヘラ師なんかがこのタイプだ(この手の人も不思議と鯉は投げ捨てない。ブラックは投げ捨てることがあるらしい)。この態度に対してとかく子供は文句を言いたがるのだろうが、おいらはこういうのもアリかな、とか思う。非難する気にはなれない。でもちょっと、釣り人としての奥行きに欠けるような気はする。

なんだかよく分からんけどこんなとこかな。自分の現状を正当化しただけですかね。まぁそれはそれでいいじゃないですか。とにかくおいらが言いたいのは、自分の意見を他人に押し付けるな、です。という話しではなかったようにも思うけど、自分の意見を他人に押し付けるな、はいかにも正しくていいですね。

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1999/12/17

今日は会社の引越し作業をやっていた。1日中立っていたので足が疲れた。片付けを終えたとき、何か冷たい飲み物が飲みたいと思った。実際西新宿の駅の自販でポカリスエットを買って飲んだ。それほどに、体を使って仕事をした。働いたという充実感に似た気持ちがあった。普段の仕事では1日中座ってディスプレイまたは紙の上の文字を読んでいる。働いていないわけじゃないが、働いた実感に乏しい。とはいえ、体を使って仕事をするのは“たまに”でいい。

それだけ。何の示唆も意図もない。

明日はびん沼でヘラ釣りかな。風がないといいな。これからウドンを作る。作るのは楽しい。片付けるのは面倒。

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1999/12/16

ホームページのアクセス数が3万を超えた。開設からほぼ2年だから730日として、1日あたり約42アクセスあった勘定になる。開設当初は1日5アクセス程度で続けばいいかしら、くらいに考えていた。それに比べれば、けっこうなアクセス数だ。みなさん、アクセス、ご苦労様です。

今日の1曲目:Kate Bush,“Army Dreamers”

話しの感じと曲調が合ってないが実際にその曲が流れているわけじゃないから別にいいか。

明日は会社の引越しだ。編集部だけ事務所を移る。明日1日で自分の荷物をダンボール箱に詰める。そのあと、編集部で共有しているたくさんの本も詰める。自分の荷物だけなら半日で終わるのだけど、共有図書はたくさんあってたいへんだ。

ダンボールに詰めるだけならまだいいのだけど、月曜日になったら開梱して棚に入れなきゃならん。こっちが特に面倒だ。

とにかく、引越しは面倒だ。

面倒だけど、うるさいやつらと別のオフィスに移れるのはありがたい。面倒な思いをするだけの価値は十分にある。

だからがんばれるような気もする。

じゃ。

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1999/12/15

高校生のころに目指した自分の将来像のひとつに、The Art of Noiseのようになる、というのがある。それは現在のところまったく実現されていない。実現に向けて少しでも近づいた形跡もない。実現に向けて少しでも努力した記憶もない。一瞬目指しただけで、その話しはおしまいになった。おしまいになったとたんに忘れて、今日に至っている。今たまたまThe Art of Noiseの曲を聞いているものだから、そうしたビジョンを持ったことを思い出した。

今日の1曲目:The Art of Noise,“Peter Gunn”

その他のビジョンもいろいろあった。デビッド・ボウイのようになるとか、フェリーニ並みの映画を作るとか、吉田兼好風の暮らしをするとか、そのときどきにいろいろあった。

ここで思うにどうやらおいらは昔から、見たり聞いたり読んだりして気に入ると、よしおいらもそうやろう、などと安易に思うものらしい。さらに思い出してみれば、スーパーサイヤ人になろうとか世界一のスナイパーになろうとかとも思ったことがある。

思ったことのどれもが無理だ。特にスーパーサイヤ人が無理すぎる。そんなことは分かりきっているのだが、読んでるときには、もしかして、なんて思わんでもなかったりしないでもない。実はおいらって宇宙から地球にやってきたんじゃないのか、なんてね、思ったりしてね。これはデビッド・ボウイにも通じるものがあるな。サイヤ人かつデビッド・ボウイだったら悪くないなと、今でも思う。

大丈夫、分かってますから。

というわけで、ぼくがいかにバカかというお話しでした。

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1999/12/14

さて、何から書くか。書くことはいっぱいあるんだけど、何から書くか迷っちゃうよ。ネタがありすぎるっていうのもそれはそれで困ったもんだな。まぁ軽い話題から順に書いていって、最後にとっておきのネタをバ〜ンとかましちゃうか。

すいません。嘘です。書くことないです。こんなときは基本にかえって買い物の話題。

上州屋でヘラ釣りセールみたいなのをやってるでしょ。今日会社帰りに寄ってみた。小物をいくつか買った。買った小物の7割がたはセール対象外だったけど、必要だったので買った。浮子止めゴムとかオモリ止めゴムとか。ほかに、ウドン搾り器も買った。普段の売値が約6000円のところ約4000円になってたのでリアクションバイト。

おお、リアクションバイトかぁ。バス釣り用語だよぉ。まだまだ捨てたもんじゃないなぁ。

ウドン搾り器というのは、ポンプに詰めたインスタントウドンを搾り出すための器具だ。これまでおいらは自分の手の力によって搾り出していたのだが、これには相当の力を要し、けっこうたいへんだ。インスタントウドンを堅めに作ると大きな力が必要になりなおさらたいへんなのだが、ほんとは堅めに作った方が丈夫でいい。魚に揉まれて落とされることが減るからだ。しかし手が疲れるのもいやなので、あまり堅く作らないようにしていた。でもこれからは堅く作っても平気だ。ウドン搾り器はテコの原理を応用しているから小さな力でもちゃんと搾り出すことができる。これで釣果が上がること請け合い。今ならお買い得。おひとついかが?

ふぅ、今日もなんとか書けた。これくらいで勘弁してくれ。

あ、でもやっぱりもうひとつ。

すごい勢いの大粒の雨のことを「ドシャブリ」っていうでしょ。これ、漢字で書くと、「土砂降り」、なのね。土砂、ですよ。これまでカタカナで発音してたからイメージが湧かなかったけど、土砂が降ってくるイメージっていったらそれはもう、なんていうか、信者居ますよ。いや居ませんって。死んじゃいますよ。

ではさようなら。

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1999/12/13

書くことがない。ぼんやりしてても書くことが思い浮かばないので去年の今ごろのおいらの動向をうかがってみた。船舶免許をとって張り切ってるな。エレキがどうしたことしたって書いてある。

あれからもう1年もたったんだ、なんてちょっと感慨に浸ってみたりして。

月日の早く過ぎゆくたとえに、光陰矢のごとし、というのがある。おいらは子供の頃からこの言葉を唱えるたびに頭の中で「光陰矢野ごとし」と言っている。お、矢野か、とか一瞬思ってしまう。小学校の校歌の一節に「学び舎の園、夢香る」とかいうのがあって、ここもおいらは「学び矢野園、夢香る」という字をあてて歌っていた。お、矢野か、とか思いつつ。

たったこれだけのことをひねり出すのにえらい苦労した。浮子への道は長い。

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1999/12/12

8時半ごろからヘラ釣りを始めた。風を避けやすい新河岸川放水路でやることにした。水深が浅く、せいぜい1mくらい。バラケとウドンの底釣り。2時間くらいして、落ち込みであたった。たぶん鯉だと思う。途中でバレた。その後ちょっとやっていたが風が強くなってきたので移動した。立掘橋の付近はあまり波だってなくて、いくらか釣りやすそうだったのでやってみる。1時間くらいしたとき、風に流されつつあった浮子が一定の速度で沈み始めた。根掛かった。竿をあおってハリスを切ろうとしていたら、プツンと切れた。切れたのはいいが、道糸の途中で切れた。エサ打ち点のあたりに浮子のトップが見えている。回収不能。いやけがさして、釣りはやめた。

家に帰ってきて妻とともに昼食をとり、そのあと、ラバジを結んだバス用ロッド&リールを持ってふたたび、新河岸川放水路に行った。根掛かったままになっている浮子をラバジで回収しようかと思って行ってみた。が、無くなってた。既に誰かが回収したらしい。無念。

昨日折った19尺竿に比べたら金額的にはどおってことないのだが、4号が欠けたことが悲しい。この浮子は1号から6号まで各1本ずつ揃っていたのだが、今となっては1、2、3、5、6号になってしまった。浮子ケースに背の順に並ぶ浮子たちはこれまでなだらかな傾斜を形作っていたのだが、今となっては3号と5号のところが段差になっている。浚渫で垂直に削られたブレークのようだ。などと喩えると、それは素晴らしい形状のようにバサーには思われるかもしれないが、ヘラ師にとっては別段喜ばしいことじゃない。それにそもそも、浮子ケースの中にバスは棲んでいない。

昨日は悲しく悔しい1日だったので今日は一転喜ばしい1日であることを今朝目覚めたときに願ったが、今日もまた悲しい1日となってしまった。今日もまたヘラは釣れなかったのだが、悔しい気分ではない。理由は分からないが、悔しさは湧いてこない。

ちなみにこの土日、1匹の魚も釣っていない。こんな週末があっていいのだろうか。

ジャムは椅子の上で眠っている。妻はうしろで布を切っている。そのあたりは、平和だ。

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1999/12/11

訃報

今日はびん沼でヘラ釣りをした。朝7時ちょい過ぎくらいから始めた。先日買ったばかりの19尺竿で底釣りをした。最初の1時間くらいは浮子が全然動かなかったが、さらにがんばってやってると、ときどき浮子がかすかに動く。魚の気配が徐々に感じられるようになってきた。さらにエサを打ってゆく。10時ごろ、モヤっとかすかに動いた。その直後、モゾっと入った。すかさずアワセを入れると手応えがある。嬉しい気分で寄せてくると、水面に魚体がチラっと見えた。尻尾にスレてた。やれやれ、などと思いつつ、寄せてくる。スレなので投げやりな気分で引き寄せてくる。するとどうだろう、目の前2mくらいのところに魚体が見えたとき、パキッっという音とともにテンションが緩んだ。

買ったばかりの19尺竿は1匹のヘラを釣ることもなく、本日10時ごろ、お亡くなりになりました。さぞや無念だったことでしょう。しかし、こうして皆様にお集まりいただいて、故人も草葉の陰で喜んでいることと思います。


こんなことが起こっていいのか? 最近の軽量ロッドというものは、むちゃくちゃ弱いのか? スレで掛けちゃうような未熟な釣り人には扱えないシロモノなのか?

多少重くても、丈夫な竿を買うべきだった。というか、やっぱり、シマノかダイワの竿にしとけばよかったよ。


まぁ折れた竿のことはともかく、でもないのだがここは感情を抑えて、折れた竿のことはともかく、今日1匹も釣れなかったことが悔しい。明日もびん沼に行く、と思う。


「訃報」をなんと読むかご存知ですか? じつはここだけのはなし、恥をしのんで打ち明けますが、おいらは「ボクホウ」だとばかり思ってました。記憶にある限りでは「ボクホウ」と口に出して言ったことはないのですが、心の中ではずっと、ものごころついたころからずっとだからかれこれ20年くらい、「ボクホウ」と読んでいました。

「訃報」と入力するつもりで「bokuhou space」とキーボードを叩いても変換されないものだから、MS IMEはクソマヌケだ、などと心の中で悪態をついてしまいました。MS IME、ごめんなさい。でもやはりきみが賢いとは、思えない。

「クソマヌケ」は敬語でしたっけ?

ちなみに「訃報」は「フホウ」と読むのだそうです。「訃音」という同義語もあるのだそうです。「訃音」は「フイン」または「フオン」と読むのだそうです。でもどちらかというと「フイン」の方が、根拠はないのですが、多く用いられているような気がします。


というわけで、悲しく、悔しい1日でした。

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1999/12/10

昨日までは、年末は実家に帰ろうかと思っていたけど、今日になってみれば、やっぱり帰る必要がないような情勢になってきた。明日になるとまた新たな情勢になるかもしれないし、別にならないかもしれない。結局帰るか帰らないか分からない。どっちつかずで落ち付かない。

明日は風がいくらか強そうだからバス釣りに行くのはやめた。びん沼でヘラ釣りする。アルファー下あたりが有力。見かけたら声でもかけてくださいな。

あさっては、風が弱そうだったらマルトに行くかも。西浦南岸を探索してみたい。

妻は友達と一緒に温泉に行っている。おいらはジャムと一緒に留守番している。でも明日は釣りに行くので、ジャムはひとりで留守番だ。だいじょうぶか、ジャム?

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1999/12/09

ずっと前から気になってはいたんですよ。一緒に釣りをした人の中でホームページを持ってる人が何人もいるからリンク集を更新しないとなぁ、と、ずっと前から思っていたんですよ。今日ようやく「(びん沼川)バス釣りリンク」を更新しました。無断でリンクさせてもらいました。コメントも勝手につけさせてもらいました。

リンク先ホームページのオーナーのみなさん、だめですか?


12月30日に第4回3キロトーナメントをやろうかなぁ、と、ぼんやり考えていたんだけど、ちょっと無理っぽくなってきた。実家に帰らなきゃいけない、というか、帰ろうかしらと思った、というか、なんかそんなわけで年末年始は実家にいることになりそう。楽しみにしていた人がいるならごめんなさい。また次の機会にやりましょう。


ちなみに今日おいらは19尺竿を買った。ハッピー。

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1999/12/08

こないだのトーナメントの釣行記においらは学生一般のことを悪し様に書いた。

学生というものは総じて世間知らずであるが本人達にはその自覚がまったく無い。自覚が無いだけならまだしも、多くの学生は自分のことを優れた人物であるかのように錯覚してさえいる。そして世間で横柄な態度をとることに躊躇したりはしない。まったくもって、取るに足らない存在だ。

などと書いた。

いや、そこまでは書いてない。そこまでは書いてないが、悪し様に書きはした。今日はここで補足しなければならない。

一般に学生が取るに足らない存在であることには確信を持っているが、例外無く取るに足らないわけでは決してない。中には常識や謙虚さをわきまえた立派な人物もいる。こないだの学生たちのトーナメントに出場していた選手の中にも、立派な人物がいる。

なんでこんなふうにフォローしてるかというとですね、学生たちのトーナメントに出場していたKさんという人がメールくれたんですよ。釣行記を書いてるときからつい今さっきにいたるまで、その学生トーナメントに出場してた人がおいらの釣行記を読む可能性なんて、まったく考えていませんでした。だから一方的に悪し様に書いたわけですが、学生全部が全部バカってわけじゃないのですぅ。いやほんとに。少なくとも、そのメールをくれた人は良識ある大人です。

そのメールによるとKさんは、おいらと逆のコースを回っていたそうです。おいらが西浦北岸から南岸に移動したのと反対に、南岸を最初に攻めてあとから北岸に行ったのだそうです。ところがここで面白いことに、おいらが南岸で釣ったのに対して、一方のKさんは北岸で釣ってるんですよ。で、釣ってる時間がだいたい同じくらい。ということは、場所よりも時間だったんですかねぇ。ずっと北岸にいても10時か11時くらいには1本釣れてたのかもしれない。学生トーナメントで釣ってきた多くの人が、やっぱりそれくらいの時間に釣れたんだそうです。

それと、もひとつ。おいらは釣行記で、学生トーナメントの優勝ウェイトはおいらの釣果よりも低かったんじゃないかな、などと書いたけど、それは間違い。優勝ウェイトは2本で2100gだったそうです。立派なものです。ちなみにメールをくれたKさんは1180g(45cm、1本)で4位だったそうです。おめでとうございます。立派な釣果だと思います。ほんとに。

ということで、良識があり、釣りも上手だという学生さんもいるのです。あまり悪く言ったらだめですよぉ。

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1999/12/07

今日は風が強くて寒かったですね。こんな日に釣りをするのはたいへんです。でもいるんですよね。こんな過酷な状況においてもめげずにがんばっちゃう人が。ヘラ師にせよバサーにせよ、気合のある人は釣りをしてしまうものです。ちょっと今のおいらには考えられないなぁ。

これからTacoさんがやってくる。そして、宇都宮流餃子パーティーが開催される。宇都宮流のことは我々夫婦は知らないのでTacoさんを講師に招いて教えを乞うつもりだ。なんでも宇都宮流にはシーズナルパターンがあるらしく、今日教えてもらうのは12月の作法だ。ちらっと聞いたところでは、やはり今年1年をふり返ることが根本になるという。

しかし12月の作法の中でも冬至の日と大晦日は別格で、我々素人に想像がつくような代物ではないのだそうだ。それら特別の作法を教えてもらいたいという要望書を提出しておいたのだが、それには応えられない旨の丁寧な返事をいただいている。送られてきた(もちろん鳩によって)返答書(これは掛け軸にもなる巻物だった)によると、冬至にしろ大晦日にしろ、長老がいなければ実施できないということだ。今日は長老をお招きしていないので断念せざるをえない。しかし12月の基本の作法は学べるので満足だ。

真面目に受けとめないように。真面目に受けとめる人がいるとも思えないのだが念のため。

買い物のはなし。会社から帰ってくる途中の植物屋でネコ用の草の鉢を買った。ネコはこの草を食べることによって、胃の中の毛を吐き出すのだという。毛繕いしたときに飲み込んでしまった自分の体毛を吐き出すために、この草が欠かせないのだそうだ。家に持ちかえって床に置いたとたんに、ジャムはさっそく草を数本食べた。買ってきた甲斐があったというものだ。おしまい。

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1999/12/06

釣行記書いたよ。

今日は会社を休んで釣りに行った。大宮の「武蔵の池」という管理池で、吉崎さんと一緒にヘラブナ釣りを日がな一日やっていた。最初1mダナの感嘆のセットでやってた。7枚釣ったところでこれはおしまい。次は9尺テンテンの感嘆のセットでやった。1枚釣っただけでこれはおしまい。お昼ごはんのたぬきウドンを食べたあと12尺竿を出して底釣りした。グルテンのセットでやってみた。3時半の終了時間までやって、結局18枚しか釣れなかったよ。ちなみにおいらはこの季節、1日30枚を目標にしている。

ヘラブナ釣りも難しいものです。でもバス釣りほどじゃない。これから、ヘラブームが来ると見た。今のうちから心の準備をしておいた方がいいかもよ。

ジャムは椅子の上で眠っている。前足の上に顔を乗せている。尻尾はちゃんと胴体に沿うように丸めている。閉じられた両目が逆ハの字状になっている。ジャムが眠ってくれているおかげで今はおいらも妻も自分の作業に集中できている。ジャムが起きているときにパソコンに向かっていると、ジャムはテーブルの上にジャンプしておいらの顔とディスプレイの間で立ち止まり、のどをゴロゴロと鳴らす。冷たい鼻先をおいらの顔にくっつけてきたりもする。その様子はとても愛らしく憎む気などにはとうていなれないのだけど、やっぱり邪魔ではある。

ジャムだけにジャマ、ってことですかぁ?

それは断じて違うのだが、そういうわけで、また明日。

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1999/12/05

第3回 3キロトーナメントが開催されました。その結果を作って載せたので、このコーナーは今日はお休みです。明日はたぶん釣行記を書くので、明日もまた、このコーナーはお休みです。なにかしら更新を年内無休で続ければ、妻は浮子を買ってくれると言ってます。

しかし、バス釣りは難しい。これから、ヘラブームが来ると見た。

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1999/12/04

第3回 3キロトーナメント」を明日開催します。雨が降るかもしれないけど、降ったとしてもたいしたことはなさそう。風もわりと弱そう。まずまず悪くない釣り日和になりそうで、とりあえずは一安心。あとは釣れることを祈るばかり。

今日は妻が出かけていたのでジャムといっしょに留守番でもしてるかと、ちょっとだけ考えたがやはり考えを改め釣りに行った。びん沼でヘラ釣りした。11時半ごろから3時ごろまでやって、結局1枚も釣れなかった。こないだはけっこう浮子が動いたんだけど、今日はほとんど動かなかった。まわりを見渡しても、ほとんど釣れてなかった。疲れた。おかげで今日はよく眠れそうだ。よく眠れると、明日の釣りがうまくいくかも。

ヘラ釣りしてたので、腰が痛い。足もだるい。肩もちょっと重い。でも大丈夫。アンメルツヨコヨコを塗ってから寝るので、明日の体調は万全だ。

ジャムは寂しがりやだ。おいらがヘラ釣りに行っていた間、ジャムはひとりぼっちだったのだが、その時間が寂しかったに違いない。おいらが帰ってくるなり、おいらの足元をうろちょろと付きまとって離れない。ヘラ道具を片付けたりバス釣りの支度をしたり顔を洗ったりトイレに入ったりテレビを見たりしているとき、必ず足元にジャムがいた。常に足元にいると鬱陶しいのだけど、かわいいから許す。

やはりかわいくないよりは、かわいい方が得ですよね。でも、その本性としてかわいくない者が自分をかわいく見せようと努力するのは、醜悪ですね。しかしいくら自分がかわいくないからといって、お化けみたいな化粧をするのもどうかと思いますけどね。

やはり大事なのは、自然体、ですね。おいらも早く、自然体を身に付けたいものです。

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1999/12/03

ついにジャムが帰ってくる。これから受け取りに行く。

明日はびん沼で朝からヘラ釣りをするつもりだったが、ジャムと遊んで過ごすことになるかもしれない。明日は妻が外出するので、おいらが留守番してジャムの面倒をみなければならない。もしかしたら、午後から釣りに行くかもしれないけど、釣りに行かずにジャムと留守番しているかもしれない。そんなこと、明日になってみないと分からない。

あさって日曜日は3キロトーナメントだ。天気がちょっと心配。雨だったら気力がもたない。風が強くても、いやになりそうだ。おだやかな小春日和になることを祈るばかり。

高橋情報によると、西浦北岸で釣れないこともないらしい。ここだけの話し、大岩田あたりの南岸でやるつもりだったんだけど、北岸で釣れないことないなら、北岸でやることになりそう。やっぱり石田から田村にかけてのエリアが一番釣り慣れてるから、そっち方面に自然と行ってしまうような気がする。まあ当日の様子をみて、風が弱そうな方向に行ってみますわ。

なんとか3匹釣れるといいんだけど。

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1999/12/02

やはりホームページの基本は「毎日の更新」ですよね。

ときに耳にするものの実はいまだに意味を知らなかった言葉の意味を知ろう、のコーナー。

aggressive
1 侵略的な,攻撃的な,好戦的な,口論[けんか]好きな
2 進取の気性に富んだ,障害をものともしない,ずぶといほど積極的な,押しの強い,果敢な

なんとなく、「積極的な」というような雰囲気の意味かなぁとは思っていたけど、もっと強烈な勢いのある意味だったのね。「アグレッシブな戦略で他社の追随を許さない会社」といった場合のアグレッシブの訳語は、まあもちろん文脈によるのだけどとりあえず、「侵略的な」か「攻撃的な」かな。たとえば、競合会社を買収してでも市場を独占するような会社のことを言ってます? だとすれば、マイクロソフトはアグレッシブな会社ってことですかね。

マイクロソフトの例だけだと悪い言葉みたいだけどそうでもないんですよね。「アグレッシブにシャローを攻めてキロフィッシュを3本揃えた」っていうのも使い方として合ってるでしょ? この場合の訳語は「果敢にも」って感じでかな。これは勇気を称えるような肯定的な言い方ですよね。

だからどうだということはないのだけど、そんな感じの意味のようです。ではもうひとつ。

coquettish
あだっぽい,なまめかしい

ああそうですか。これじゃ話しが展開しないよ。もっと特殊な風情を期待してたのに。

しかしなんだ、せいぜいこんだけの意味なのにわざわざ使うか? 「見よ、このコケティッシュな弥勒菩薩の表情を」なんてわざわざ言わずに「見よ、このなまめかしい弥勒菩薩の表情を」でいいじゃないか。だから評論家気取りの連中は嫌いだよ。だいだい「コケ」っていうのが間抜けじゃないか。苔ならともかくカタカナで「コケ」だもんなぁ。「ずっこける」のコケですわ。聞いてるこっちがずっこけますわ。で、そのあとに続くのが「ティッシュ」でしょ。鼻水ふいてから出直してこいや。「コケ」「ティッシュ」なんて言ってる自分が恥ずかしくないかい? 日本人が発声するのにこれほど恥ずかしい言葉はそうそうないね。恥を知れ。

では最後に、主旨は違うものの、知ってるだけで嬉しいような気分になれる諺をひとつ。

天網恢恢疎にして漏らさず(テンモウカイカイ、ソニシテモラサズ)
[老子第七十三章「天網恢恢、疎而不失」]天の網は広大で目があらいようだが、悪人は漏らさずこれを捕える。悪い事をすれば必ず天罰が下る意。

やっぱ老子はいいこと言うなぁ。格が違うわ。普通なら「カイカイ」なんて音は恥ずかしいっすよ。でも「天網恢恢疎にして漏らさず」は全然恥ずかしくない。「カイカイ」なんて言ってるくせに深遠な香りすら漂ってくる。

この「今日の買い物」が1000年先の人々に老子のように読まれますように。

ああ、だいじょうぶです、別に狂ってしまったわけではありません。ごきげんよう。

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1999/12/01

昨日に引き続き今日もまた、このホームページは年内無休で活動中です。

上の一文はちょっとへんですが、それでも雰囲気があっていいですね。

そうでもないですね。

今日から12月ですか。陰暦の言い方だと、師走、です。普段は暇で暇でしょうがなくて、そのためあらぬ妄想にかられ行き過ぎた体罰を愛の一種だなどと勘違いしつつおこなったり、さらにそこからエスカレートして、能力とはほとんど無関係な権威を悪用して猥褻な行為に不気味なにやけ顔で及ぶという、あの教師ですら、忙しくて走りまわるということに由来する、師走、です。

みなさま、ごきげんいかがでしょう。ぼくは今日竿掛けを買ったのでごきげんです。

忙しくて走る、というよりも、やばいことして逃走する、ということなんでしょうか。

しかしこんなふうに書くと極度な教師嫌いみたですが、ざっと振り返ってみて、嫌悪すべき教師なんてほんの数人なんですよ。あとは別に取るに足らんただの他人です。ただほんの数人、尊敬できる先生もいました。でもそれは教師として尊敬できるというよりもむしろ、職業とは無関係に単に人間として尊敬できる、という方が正しいでしょう。

まずは嫌悪すべき教師の代表、松浦から。

あ、いかん、この名前を出しただけでこのページが穢れる。のみならず、おいらの麗しい日常生活全体が穢れる。いやいやそれだけにとどまらず、インターネットが穢れてしまう。あないみじ。

失礼しました。清める意味で、素晴らしい川辺先生の話し。

川辺先生は高校で地学を教えていた。先生は定年退職を数年先にひかえていたのだが、ある授業のとき、退職後の生活についての計画を語った。その計画とは、自宅の庭に藻類やシダ植物をふんだんに植え「古生代の庭」を造って暮らすというものだ。

どうです、素晴らしいでしょう。

ではさようなら。

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