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今日の買い物

2001年7月

2001/07/31

これまでアンチ自民党傾向の強かった無党派層が今回は自民党に流れた、とかしきりに言ってますよね。これを聞いて、自分が典型的な無党派層のひとりだということを知りました。

ささ、気をとりなおして。

3キロ認定バッジ


これが3キロ認定バッジだ。

3キロ釣果達成者に与えられる勇者のあかし。そしてときには賢者の石あるいは祈りの指輪じゃなければおしゃれなバンダナ。現在のところおいらとKawanaさんが持っている。他人の家に勝手に上がりこみツボを叩き割ったら中から出てきた。Kawanaさんがどこで見つけたのかは不明。なんにせよ、道具屋に売ったら7万ペリカは下らない。
F5・タムロン90mm F/2.8 MACRO/f16・100/RDP3


今日のところはこんなところで。

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2001/07/30

「ネスト」というと思い出されるのはループの中のループとか、あるいは付近を大物がうろちょろしているというシャローの白っぽいところとか、かもしれないが、野鳥好きなら真っ先に鳥の巣を思い出さねばなるまい。というわけで今日はオオヨシキリのネストの写真でも。既にがレポートしているのでこの写真はボツにするつもりだったのだけど他に書くことも思いつかんのでボツにしないことにした。

「〜ので〜ので」になってしまった。

オオヨシキリの巣

オオヨシキリがギョギョシゲシゲシとやかましくさかんに鳴いていたアシ原がいつのまにかきれいさっぱり刈られてしまった。刈った人は刈り取り中にこの巣を発見し、刈るに忍びなく思い、こうしてここだけ残したのだと思われる。

我々がこれを発見したとき巣の中はからっぽだったが、この巣の持ち主が無事に子育てをまっとうしたかどうかは分からない。別に根拠はないがちゃんと巣立ったような気がする。

しかし鳥というのは手もないのにうまいこと作るもんだね。作ってみろ、とか言われても、なかなか人間にはうまく作れないと思うよ。
2001-07-07/富士見江川農耕地
F5・AF-S Nikkor500mmF4D+TC-14E/f5.6・400/RDP3


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2001/07/29

目覚ましは5時に鳴った。そして起きたのが8時。今日もまた寝坊した。しかしそのおかげで「小さな旅」を見ることができた。一日の始まり方としてはまずまずだ。

投票に行ったその足で、さくら草公園に行ってみた。駐車場に車をとめ、レンズを担いで歩いてみる。公園内を横切って荒川の土手のほうに行く。さくら草水門の土手に登って眺めていると、チョウゲンボウが飛んできた。いちおう撮った。川にカワウが着水するところも撮ってみた。川にいたゴイサギとアオサギとチドリっぽい鳥とイソシギも撮った。

というわけで、意外とたくさん撮れた。しかし期待できるような写真はほとんどない。どれも鳥との距離が長かった。しかし予想外にたくさんシャッターが切れたので充実感はある。

昼食(ステーキ)を食べたあと図書館に行って本とビデオを返し、本とビデオを借りてきた。その足で、ビン沼に行った。旧ビン沼で小物釣りした。いつものように珍しい魚は釣れなかった。クチボソとフナを数匹ずつ釣ったのみ。

はカメラを持ってカワセミ調査をしていた。意外にも、カワセミをすぐに見ることができた。釣り座を物色しているときに目の前を横切って飛んでいった。おいらが釣りをしているあいだはおいらの後ろで沼を観察していたのだけど、我々の横10mくらいのところの竹杭に何度かカワセミが止まっていた。そのほかにもけっこういろんな鳥を見ることができた。今日ビン沼で見た鳥は以下の17種。このうち、太字の鳥はぜひ撮りたい。

ヨシゴイササゴイ、アオサギ、ゴイサギ、コサギ
カイツブリ、カルガモ、カワウ
キジバト、カラス、スズメ、
ヒヨドリ、オナガ、ハクセキレイ、ツバメ
カワセミコアジサシ

旧ビン沼はなかなかの鳥見スポットだった。釣りしてる場合じゃないよ。

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2001/07/28

目覚ましは4時に鳴った。そして起きたのが8時。さいきんちゃんと起きれない。

サイクリングに行ってきた。9時ごろに出発し、宗岡農耕地、秋ケ瀬取水堰、彩湖、秋ケ瀬公園、大久保農耕地と回って、3時ごろ帰ってきた。

彩湖の草原の道をゆっくり走っていたら、地面から大きな鳥が飛び立った。双眼鏡を取り出す間もなく飛び去ってしまった。大きめの猛禽だった、ということしか分からない。オオタカだかノスリだか、そんな感じの鳥だった。その猛禽が飛び立った地面には、ハトの死骸が落ちていた。頭がなくなっていて、おなかのあたりが裂けていた。どうやらそこでハトを食べていたらしい。千載一遇のチャンスを逃した。カメラは持っていかなかったので写真の撮りようはないが、せめて観察したかった。無念。

そんなとこですか。

それではここで、今日のセキレイ。

エサをとらえたキセキレイ


奥日光、光徳沼で撮ったキセキレイ。なにか大きな虫をつかまえた。雛のために持ち帰るのだろうかとも思ったが、自分で食べていた。ちょっと食べにくそうにも見えたが、結局丸のみした。

このときキセキレイは2羽いた。一方はおなかの黄色が鮮やかだったのでたぶんオス。この写真のほうはおなかの黄色味が薄く、たぶんメス。写真ではおなかが白く写っちゃってるけど、実際は黄色っぽくなっている。逆光ぎみだったので色が飛んだだけ。

2001-07-21/光徳沼
F5・AF-S Nikkor500mmF4D+TC-14E/f5.6・640/RHP3


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2001/07/26

今日は涼しかった。高原にいるかと思った。しかしキビタキは見なかった。

本買った。2000円弱の本を3冊。本って高いね。しかし2000円なら、ふだんおいらが作っている本より安い。ということからして、おいらには本の値段に関してうるさくいう資格がないかもしれん。というか、本の値段が高いのは暴利をむさぼるためじゃない、ということが分かるだけに、文句をいう気にはあまりなれない。しかし読んでみてあまりに期待はずれだったりあまりに出来がおそまつだったりすると、腹立たしいような気がしんでもない。今日買った本はどうだろう、ああ楽しみだ。

こないだの巾着田の写真でも。
2001-07-22/巾着田/F5・AF-S Nikkor500mmF4D+TC-14E/開放オート/RHP3

まずは気のいいセキレイから。左がハクセキレイ、右がセグロセキレイ、どちらも若鳥。大人は顔が黒いけど子どもはグレーになっている。両者を見比べてもあまり差がないように見えるかもしれないが、顔の模様というか色の付き方が違う。ハクセキレイのほうはまだらっぽくて、セグロセキレイのほうは目の上以外全部グレーになっている。

ハクセキレイの若鳥 セグロセキレイの若鳥

この日巾着田ではセキレイ以外の鳥は撮れなかった。しかしその代わりにウサギを撮った。

ウサギ


カワセミはいないものかと川辺を歩いていたら、前方になにやらへんなかたまりがある。よくみてみたらウサギだった。日陰でじっとしてた。とりあえず撮影したのがこの写真。これを撮ったあとゆっくり接近してみたが、そそくさと茂みの中に入っていった。

逃げ出したペットだろうか。野生のウサギ、ってことはないですよね?


それでは最後に、セグロセキレイ(成鳥)の羽伸ばし。

セグロセキレイの羽伸ばし

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2001/07/25

高原に行きたい。涼しくて過ごしやすいし鳥は多いしできっといいことずくめだ。早く週末にならないかしら。しかし人も多いんだろうか。それを思うとうんざり感も漂ってくる。おいらだけが知っている高原(トイレ、駐車場あり)があるといいんだけど。

もう書くことがなくなったので写真でも。伊佐沼の古代蓮。
2001-07-22/伊佐沼/F5・AF-S Nikkor500mmF4D RHP3

つぼみ


つぼみ。中に小さい仏像とかが入ってそうだ。(1250)


種?


これはなんだろう、種かな? 呼吸用の空気穴、とか? ひとつちぎって持ち帰り、開いて中を見てみたいんだけど、わざわざ育てているらしい植物を勝手にちぎる気にはなれない。でも気になるなぁ。何かはわからないが、花びらが落ちるとこうなるらしい。(1000)


花


そしてこれが咲いてるところ。昼ごろだったせいか、ちょっとくたびれている。まあでも悪くはないですな。(1600)


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2001/07/24

ベランダの植物にアブラムシが湧く。そのことをは苦々しく思っている。と同時に、アブラムシへの関心も湧く。そこで先日図書館で、谷口達雄著『アブラムシ ― おもしろ生態とかしこい防ぎ方』(農文協)という本を借りてきた。100ページちょっとの薄い本だ。おいらはアブラムシに関心があったわけではないが、薄いので、昨晩なんの気なしに読んでみた。

春から秋にかけての時期アブラムシは単為生殖できる。つまり、メス1匹で仔を産むことができる。この際、卵を産み出すのではなく、体内で孵化した幼虫をいきなり産み出す。これをじゃんじゃん繰り返すと、1ヶ月に1万倍に増えたりもするらしい。ねずみ算の比じゃないくらいのスピードで増殖する。あまりに増えると、羽の生えた仔が産まれ、飛び立ってゆく。そして具合のいい植物を見つけちゃあ、そこでまた激増する。こうやってあちこちに飛び移る過程でアブラムシはウィルスを伝搬することがある。アブラムシによって運ばれたウィルスによって農作物に被害が出たりする。たとえばスイカなんかの商品価値が著しく落ちたりとかするらしい。

というようなわけで、アブラムシは恐ろしい。そりゃ農薬を使いますって。無農薬野菜が尊ばれたりするのには共感できるけど、無農薬で野菜を作るのには相当な苦労を伴うだろうと察せられます。ヘリコプターで農薬を散布してるのを見たりすると、川に流れ込んで魚がおかしくなっちゃうよ、それを食べるカワセミくんの健康が心配だ、農薬なんかやめないかしら、とか思っていたけど、なかなかそうもいかんだろうねぇ、とか今では思う。

これまで、農薬を使う農家の人の考えを想像してみようと思ったことすらなかったのだけど、この本を読んでちょっとは想像できるようになったような気がする。人それぞれに考えがあるということは知っていても、立場の違う人の考えを察するのはなかなか難しいものですねぇ。

というのは読書感想文としてどうですか? 入賞できますかね。選書の段階からずれてますか、そうでしょうねぇ。

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2001/07/22

4時起床。5時10分には巾着田にいた。予想通り、河原にはいくつかのテントが張られている。テントの見当たらない堰堤方面に行ってみる。カワセミの姿がちらっと見えた。写真が撮れるような位置には来てくれない。どころか、まともに観察する間もなくどこかに飛んでいってしまった。ハクセキレイとセグロセキレイは近くに来てくれた。何枚か撮った。

暑いしあまり鳥の気配が感じられないしで、8時ごろには巾着田をあとにした。

帰りに伊佐沼に寄ってみた。カルガモしかいなかった。しかし古代蓮の花が咲いていた。何人かの写真家たちが撮っていた。ちょうど数枚のフィルムが残っていたのでおいらも撮った。花に虫が乗っかったところとかが撮れればいいのだけど、そういう機会を待つ気力はまったく湧かない。てきとうに撮った。

家に帰ってから片付けなどをして、そのあと、10時から12時まで昼寝。昼寝する前までは、午後はヘラ釣りにでも行くかと思っていたのだけど、起きたときその気力はなくなっていた。なんとなく家でぼんやりと過ごす。しばらくしてから図書館に行き、借りていた本を返す。そして新たな本を借りて帰ってきた。

という程度の一日でした。ほんとは屋外で過ごしたいのに暑さに負けた。

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2001/07/21

02:00、起床
02:50、出発
03:22、東北道岩槻IC、22km
04:10、大谷PA、114km
04:45、宇都宮IC
05:40、光徳牧場着、177km

うちから約180キロ、早朝なら3時間ちょい。気力さえあれば日帰りでじゅうぶんいける。

光徳牧場のすぐ近くの無料駐車場に車をとめて支度をしてさっそく写真を撮りにいく。牧場のふちを半周すると光徳沼に出る。これまでの間にアカゲラの写真を撮るつもりでいたがアカゲラはいなかった。

光徳沼ではキセキレイが羽繕いをしていた。キセキレイを見たのはちょっと久しぶりだ。遠かったが記念に撮っておいた。

沼から流れ出る川伝いに歩いてみる。川にはカルガモ一家がいた。いちおう撮っておく。さらに歩くと、カワガラスを発見。一度だけ見たことはあったが写真を撮ったことはない。今日は撮った。ちゃんと撮れているかもしれない。カワガラスがいたすぐそばの林では美しい囀りが聞こえる。木の上のほうで鳴いている。距離はかなり近い。その場でしばらく待っていたら、鳴き声の主が見える位置にとまった。キビタキだった。あまり近くには来てくれなかったし、上のほうにしかいなかったので写真はロクに撮れてはいまい。しかし見れただけでも幸せな気分だ。

カラ類の混群に出くわしたが逆光でよく見えない。しかも茂みに入ったり出たりと忙しく飛び回っているのでちゃんと確認できない。シジュウカラ、コガラ、ヤマガラあたりはいたような気がする。キバシリとかゴジュウカラを見たかったが見れなかった。イワツバメとおぼしき鳥が沼周辺を飛びまわっていたが、とてもじゃないがピントが合わない。ウグイスはしきりに囀っていた。姿も見えた。しかし遠かった。

9時ごろ、だったかな、一度車に戻り荷物を置いて休憩する。持参したパンを食べる。そのあと、光徳牧場のアイスクリームを食べる。格別においしい味なのかどうかはよく分からないが、牧場のアイスだということと涼しい高原の林で食べるということの2点から、とてもおいしく感じられる。

おなかがふくれたところで第二部。戦場ヶ原にまで続く遊歩道を歩いてみるかと思ったが、光徳沼でカケスの群れに遭遇したのでそれらを狙ってみる。しかし撮れる位置にはきてくれなかった。そのころもおいらも眠たかったので車に戻り昼寝する。

そして目覚めたのが12時ごろ。1時間半くらい眠っていた。とりあえず牧場の牛乳を飲みにいく。ふだんおいらは牛乳を飲む習慣はまったくないのだけど牧場の牛乳は特別だ。牛乳という飲み物もおいしいものだ。しかし牧場以外で飲みたい気分になることはまずないだろう。

さてここで午後の部、と思ったが、あまりに人が多いのでメゲた。駐車場は満車だ。牧場には溢れるほどの人がいた。こりゃやっとれん。ということで、戦場ヶ原に行ってみる。しかしこっちも駐車場に車がいっぱい。赤沼の駐車場も満車。奥日光は涼をもとめる人間たちで息苦しいくらいだ。というわけで、ここでおしまい。

人間の多さは予想外だったが、ちゃんとキビタキを見れたのでよし。奥日光はいいところです。人間が少なければ天国のようなところでしょう。こんどは9月ごろの平日に一泊で行きたい。

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2001/07/20

4時に起きるつもりが8時だった。釣りの翌日にちゃんと起きられたことはほとんどない。

4時に起きて巾着田にカワセミを見に行くつもりだった。しかし寝坊したのでこの計画は中止になった。朝早くに行かないとバーベキューの人とかが大勢やってきて落ち着かない。巾着田で写真を撮るなら、熱心な写真家くらいしかいない早朝から始めるべきだ。

巾着田は諦めて、富士見江川に行ってみた。ハクセキレイの若鳥なんかがいるかもしれない。しかしいなかった。いつになく、鳥の気配が少なかった。先週までは活発に鳴いていたオオヨシキリの声がほとんど聞こえない。もう営巣を終えて旅立ってしまったんだろうか。ハクセキレイの成鳥を何枚か撮っただけに終わった。

午後、ビン沼に行った。ヘラブナとギンブナを逃がしに行ってきた。どうもこいつらは水槽で飼うにはちょっと大きい。水槽が狭いように感じられたので逃がすことにした。逃がすついでに、小物釣りをした。モロコを何匹か釣ったところで飽きた。今日こそはタナゴとかアブラボテとかアカヒレタビラとかが釣れるだろうか、ああ楽しみだ、という気分で臨んだのだけど、モロコを5匹くらい釣ったところで諦めた。

釣りのあと、タモアミで水辺の草をガサガサやってみた。メダカ1匹とタナゴの稚魚6匹を持ち帰ってきた。メダカはメイン水槽に入れた。稚魚は、メダカ育成用水槽に入れた。この育成用水槽というのは、ホテイアオイと金魚藻が浮かんだプランターだ。水抜き穴をコーキング剤で塞げばできあがり。ベランダに置いてある。ここにメダカの卵を入れておくと孵化し育つ、という計画だ。すでに何匹かの稚魚が孵っている。来年の今ごろは、メダカとタナゴが群れ泳ぐ素晴らしいプランターになっているに違いない。

ビン沼の岸辺にはヨシノボリがたくさんいた。いくらでもアミで掬える。しかしヨシノボリは高水温に弱いらしいので持ち帰るのをやめた。ヨシノボリは縄張り争いをしたりして、見てて楽しい魚なんだけど、死なれるのもいやなのでやめといた。

明日は早起きをして高原に行く予定。

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2001/07/17

書きたいと思うようなことはない。しかし日記をマメに更新しないと大きな魚は釣れないのだ。だからしかたなくこうやって書いている。のだけど、マメに更新すれば必ず釣れるというものでもないらしい。マメな更新というだけあって釣れるのは・・・ああみなまで言うまい。とにかく、がんばらないことには報われる可能性すら出ない、ということだ、か?

今日はがんばって最終章まで読みきった。おまけに、夕方出た青焼きも見終わった。明日は午前中に目次と索引を確認し、午後客人の応対をし、夕方までにカバーデザインの校正をすればひと段落。うまくすればあさっては桜川だ。

あさっての桜川は状況が改善されているということはあるまい。しかしどこかに大きな魚がいるはずだ。これまでは岸際ばかりやっていたが、あさっては深いところも試してみる。ディプシードゥの2番とかでどうだろう。ああ楽しみだ。曇りとか小雨になることを祈る。

ダライ・ラマ 瞑想入門 -- 至福への道』をきのうちょっと読んでみた。仏教の教えは読み飛ばし瞑想のエッセンスだけを抽出するようにサラサラと読むつもりだったのだけど、意外といいことが書いてあったのでついついふつうに読んでしまった。瞑想時の座り方が分かったところで時間切れ。これから続きをちょっと読んでみる。

しかし結跏趺坐(けっかふざ)ができん。両足の甲がともに股(もも)の上に乗るという座り方ね。これだと痛くて瞑想どころじゃない。がんばってればいつか慣れるんだろうか。無理っぽい。しかしご安心あれ。半跏趺坐(はんかふざ)でもいいらしい。これは片方の足の甲だけを股に乗せるという座り方。これなら平気だ。気になるのは、半跏趺坐は結跏趺坐の略式だと辞書に書いてあることだ。どうも略式というのが気に入らん。が、背に腹はかえられん。

世の中ってすさんでるよね。全人間のうち半分くらいの人がダライ・ラマの教えに従い利他心をやしなえば世の中はずっとよくなるような気がするよ。というような、いいことが書いてあった。ちなみに、瞑想修行の目的のひとつはこの利他心を得ることにあったりもするらしい。おいらは、大きな魚を見つける能力とかを得るために瞑想をとりいれようと思っているのだけど、それじゃあ煩悩を目的とした瞑想ってことになっちゃうなぁ。どうも人間としての根本がなっとらん。それこそ瞑想せねばなるまいよ。というわけで、やっぱこれからは瞑想だ。そしてあさっての桜川で2キロフィッシュが。

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2001/07/12

おいらがもしプロレスラーになるとしたらリングネームは「ジャンボグラブ・テキサス」にしようかと思う。スタンハンセン風の衣装で登場し、ダイナマイトキッド(ト?)並みのワザを披露するつもりだ。


おとといまで、立花隆著『宇宙からの帰還』を読んでいた。多くの宇宙飛行士は宇宙空間で、神の臨在感を実感するというような稀有な体験を得て、それによって人生観が変わったりするらしい。より高次の精神性を獲得できたりするのだそうだ。

いまは、立花隆著『臨死体験・上』を読んでいる。もうじき読み終わる。これによると臨死体験を得た人の多くも宇宙飛行士同様、自分の精神性が高まったりするらしい。

さてそうなると、俄然おいらもそういう境地に到達したいものだと願わずにはいられない。しかし宇宙飛行も臨死体験もそう簡単にはかなわない。ここで思い出されるのがヨガの瞑想だ。『臨死体験・上』にはヨガの瞑想と臨死体験との類似点が紹介されていた。本質的に同じものかどうかは不明だが、似ている点が多いという。

というわけで、近所の本屋でヨガの本を探してみた。2冊しか見当たらなかった。そのうちの一方はおいらが求めている感じのものではなかった。もう一方はヨガ入門というような感じのタイトルで、まさにおいらが求めている内容だ。体操やら瞑想やらのやり方が写真や図解入りで解説されている。しかしこの写真の人がパンツ一丁の中年男性で、それがどうにも不快な感じだ。なのでこれもやめた。

ヨガの本は見つからなかった。しかしいいものが見つかった。『ダライ・ラマ 瞑想入門 -- 至福への道』だ。ヨガ本の近くにおいてあった。著者はダライ・ラマ14世テンジン・ギャツォ。おもしろいだろうか。いや、おもしろくなくてもかまわない。瞑想が上達すればいい。おいらはまだ瞑想10級だ。いつか9級になれるだろうか。

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2001/07/11

ルアー列伝 ワーム編

ジャンボグラブ・テキサス

これが有名なジャンボグラブ・テキサスリグだ。シンカーの先端にある黒い小さなポッチは浮子止めゴム。といっても、ヘラ釣り道具の売り場とかで買ったわけじゃなく、川越POPYEで買った。なので浮子止めゴムではないのかもしれん。が、効果は同じだ。写真のシンカーはタングステンの1/4オンス。丸い真珠状のものはスゴイフックに付いてくるもの。これを使うことによってどういう効果が得られるのかは知らないが、使わないのももったいないので使っている。無意味なような気もする。フックはスゴイフックの5/0。なんだかバランスがいいでしょ? ちなみにワームの色はパール。この色が一番好きだ。とはいえ、ほかの色でも気にせず使う。色の違いによる釣果の差を実感したことはまだ一度もない。
F5・タムロン90mm F/2.8 MACRO RHP3 f16・500

というわけで、我々の生活にジャンボグラブ・テキサスは欠かせない。調べたらもっといろんなことが判明するんじゃなかろうか。

夏休みの自由研究のテーマにいかがでしょう?


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2001/07/10

今日はもう書かずにおこうかと思ったのだけど、テレのことを思いついたので書いてみることにした。テレというのはたぶん「遠隔」という意味だ。遠くに光景を送るテレビジョンとか遠くに音を送るテレフォンとか遠くに心情を送るテレパシーとかのテレ。あとはなんだろう、遠くの視野を得る望遠鏡がテレスコープだったりとか。telephotographということばもあるらしい。望遠写真と辞書に載っている。望遠レンズで撮った写真ということだろうか。そういえば、ズームレンズの望遠側のことを「テレ側」と言ったりする。

というわけで、我々の生活にテレは欠かせない。テレについて調べたらもっといろんなことが判明するんじゃなかろうか。

夏休みの自由研究のテーマにいかがでしょう?

タンポポにとまるベニシジミ


では最後にテレフォトグラフを1枚。
タンポポにとまるベニシジミ。
300mmレンズで撮ったので
これはたぶんテレフォトグラフと言えるでしょう。
2001-06-23 富士見江川
F5・AF-S Nikkor300mmF4D RDP3 f4・500


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2001/07/09

誰それの釣行記を鵜呑みにして行ってみたんだけど釣れんかった、などという場合の「鵜呑み」の「鵜」は鳥の鵜なんだな。鵜が魚を噛まずに飲み込むことから転じて「人の言うことなどを、よく検討せずにそのまま採り入れること」だそうだ。こうやって鵜ということを意識してみると、鵜呑みという言葉から映像が湧いてくる。ビン沼などでもよく見られるあの鵜の姿を思い浮かべずにはいられない。

しかし鵜に限らず魚を捕食する鳥はたいてい噛まずに飲み込むと思う。カワセミは食べる前に魚を枝などに叩きつけることがあるが、それでも噛まずに丸呑みにする。サギ類もたぶん噛まないだろう。というか、そもそも、噛んで食べる鳥っているんだろうか? いないような気がする。とすると、別に鵜じゃなくてもかまわんように思われる。魚を食べる鳥はほかにもいろいろいそうなもんだ。ウノミという語感が簡潔でいい感じだからかなぁ。

夏休みの自由研究のテーマにいかがでしょう?

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2001/07/08

4時半に起きるつもりが8時半。目覚ましを止めた記憶がまったくない。釣りにいくときと大違いだ。

早朝に写真を撮るという計画は崩れたが、めげずに撮りに出かける。昨日と同じく富士見江川に行ってみる。オオヨシキリの若鳥を撮るつもりだ。近くには出てくれないだろうから2倍テレコン装着の1000mmF8で狙う。しかし今日は至近距離に出てきてくれた。1000mmじゃ大きく写りすぎるくらいの距離だった。若鳥かどうかは分からないが、この至近距離の写真のできあがりが楽しみだ。

富士見江川の農耕地にはアマサギもいた。7羽ほどのコサギの群れに3羽がまじっていた。ここでアマサギを見るのは初めてだ。接近してみたがサギ軍団はことのほか警戒心が強く、50mもあるのに飛ばれてしまう。しかしもしかするとアマサギが飛んでるところが撮れてるかもしれない。とはいえマニュアルフォーカスだったのでたぶんピントが合ってない。運良く合ってることを祈るのみ。

11時ごろ急激におなかがすいた。ガストで昼食。土浦のガストでいつも食べる得々セットを注文する。土浦以外で得々セットを頼むのは初めてだ。

食べ終わったころおいらはバテ気味だったがは元気いっぱいだった。そこで午後の部を開催。ハクセキレイの若鳥を狙ってみるが近くには来てくれなかった。そんなことより、くしゃみが連発しておなかが苦しい。鼻水もとまらない。もひとつ体調がシャキっとしん。が、なんとか残りフィルムを無事撮りきって今日の撮影は無事終了。

いまも体調がいまいちだ。といっても、鼻水がうっとうしいという程度のことで、熱があったりするわけじゃない。鼻ばかりかんでいるので頭がボンヤリしてうっとうしいとか、鼻がヒリヒリしてうっとうしいというように、辛いというよりうっとうしい。それと、ふだん以上におなかがすくのもうっとうしい。ちなみにいまおいらは納豆が食べたい気分でいっぱいだ。なのでさっき納豆を買ってきた。納豆を食べてビタミン剤を飲めばたぶん回復するだろう。

そういえば、納豆なんだけど、小粒のほうが人気があるらしい。大粒納豆はあまり売られていない。しかしおいらは大粒のほうが好きだ。そこで、大粒納豆が売っているコープにわざわざ買いに行った。なのに大粒は売ってなかった。藁に包まれてなくてもかまわんし国産大豆じゃなくてもかまわんのだけど、豆は大粒であってほしい。そのほうが大豆っぽさが強調されてよっぽどおいしい。なぜ小粒のほうが人気があるんだろう? 不思議だ。

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2001/07/07

来週は3キロだ。現在のところ参加予定者は9組10人。十分な人数だ。優勝賞金でちょっとしたものが買える。久しぶりに優勝したい。しかし最近は参加者のみなさんが西浦に慣れてきたので簡単には優勝できん。最初のころはアベレージ(700〜800)を3本揃えれば優勝の可能性が高かったが、いまじゃ3キロ釣らないと優勝できそうにない。3キロ後半のウェイトじゃなきゃ万全とはいえん。さてどこでなにするか?

昨日は3キロの練習じゃなく、ただ単に遊んでしまった。本来なら本湖をチェックして回るべきだったのだけど、せっかくの平日だったから桜川で遊んでしまった。桜川では11本も釣れたのだけど、500g以下の魚を除外すると4本だ。

800(スピナベ)
700(テキサス)
1300(テキサス)
900(スピナベ)

11本となると「もう桜川で間違いなし」とか思うのだけど、こうやって500g以下を切り捨てると本湖と変わらんということが分かる。平日と休日の人出の差を考慮に入れると、本湖のほうが影響が少ないぶん有利かも。ただ、それは、本湖でふつうに釣れればのはなしだ。が、1週間後の状況なんて分からんのでそんなことを心配してもどうにもならん。たぶんおいらは本湖でやることになるでしょう。


午前中の2時間ほど、富士見江川で写真を撮ってすごした。昨日に比べるとずっと涼しかった。オオヨシキリの若鳥が撮れたかもしれない。カルガモの親子も撮れてるかもしれない。富士見江川はあいかわらずいいところだ。明日も行くつもりだ。


午後、図書館で写真集を見てすごした。宮崎学という写真家の写真集がおもしろかった。

フクロウ』という写真集には、獲物のネズミを捕らえるところやら子育ての様子やらが紹介されている。写真以上に、フクロウについて書かれた文章が面白かった。撮影を通して観察されたフクロウの生態の説明が興味深く読めた。フクロウに限らず野生動物の写真を撮る場合殺気を消すことが重要だ、というはなしもあって、これに関しては「ふむ、やっぱりそうだったんだ」と、心が晴れ晴れとした。釣りにしろ野鳥撮影にしろ、対象となる生き物は人間の殺気(というか意気込みというか)を感じているに違いない、と思わずにはいられない場面に何度も接してきた。タバコに火をつけているときアタリがある、とか、目の前の鳥にレンズを向けて集中しているとき気がつくとすぐうしろに鳥が来ている、とか、そういう具合に人間の意図はバレているんじゃないかと思われることがしばしば起きる。それがほんとかどうか自信がなかったのだけど、どうやらほんとらしい。しかし問題は、どうやって意図を消すかだ。釣りにしろ野鳥撮影にしろ、極めるためには禅が必要かもしれん。

死 ― 宮崎学写真集』には、動物の死骸がどのように変化していくのかが記録されている。ハエが集まってきて卵を産んでその後どうなってゆくか、とか、タヌキが食べにやってきて、そのあとキツネもやってきて、しまいには骨まですっかりなくなってしまった、とか、そういう死骸の変化が写真に撮られている。シジュウカラやヤマガラが毛を持ち去る場面もあって、そういう写真を見ると、なんだか負けたくないという気分になったりもする。いつかおいらも撮りたいものだ。しかしハエの幼虫の活動風景は別に撮りたいとは思わない。そりゃそうと、写真集というメディアに臭いを発生させる機能がなくてよかったと思う。ちなみに、写真を見てるぶんには、気持ち悪さは感じなかった。

アニマル黙示録 ― 宮崎学写真集』には、人間が作り出した環境に生きる野生動物の写真が集められている。人間の出す生ゴミを食べるネコやサルやカモメやネズミが写っている。それだけなら痛々しくはないが、殺虫剤が振りかけられた生ゴミを多く食べたために癌におかされたタヌキの写真は痛々しい。マヨネーズかなにかのキャップを背負うヤドカリを見ると気の毒になる。エサを与えたために異常に繁殖したカモの大群の写真を見ると、自然を守るということがどういうことなのかよく分からなくなってくる。といっても、この写真を見る前にも分かってはいなかったんだけどね。

というわけで、図書館ですごすのもよいものです。

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2001/07/02

きのうタックルボックスの整理をした。不要なものを除外し必要なものだけを集めたら、半分くらいの容量のボックスで十分間に合うことが判明した。いまのボックスには、ルアー一式にくわえ魚探と魚探用バッテリーが入っている。魚探とバッテリーもタックルだと考えれば、いまのボックスはちょうどいい大きさだ。なので、小さなタックルボックスを新調する計画は断念した。


ジャンボグラブにはいつも5/0のフックを使っている。そのことを志木のm氏中野のK氏に話したら、そんなでかいので釣れるかってんだ、とまでは言われなかったが、驚かれた。そんなでかいフックじゃ掛かりにくいじゃないかと思うらしい。

しかし5/0がピッタリだ、とおいらは思う。それより小さなフックだとグラブの尻尾の付け根に届かず、胴体のところに針を通さなきゃならん。なんだかそれはバランスが悪くないか? しかも、針先が胴体に埋もれちゃってかえって掛かりにくいようにも思える。バスは体長が30cmもあれば、ジャンボグラブ程度のものは軽くひと飲みしちゃうから5/0がでかいということはないと思うよ。というか、ジャンボグラブ+5/0で針掛かりしない状況だとしたら、それはフックじゃなくてワームがでかいってことじゃないかな。まあ騙されたと思って一度使ってごらんなさいよ、もう3/0とかじゃ心細くてやんなっちゃうから。


きのうの釣りの帰り道、アイスクリーム買ってくわ、といってコンビニに入ったら助手席のm氏が大笑いした。なんだ? なにがおかしいんだ? 釣りの帰り道でアイスクリーム買ってくのは基本じゃないのか? しかも、チョコレート入りのモナカって決まってるよね。少なくとも高橋さんはこの基本に忠実だ。噂では、朝霞のa氏もちゃんと実践しているらしい。

基本だということをm氏に力説したら、「ああ、きっと、釣りについて熱く語る人のあいだでは基本なんだろう」とm氏は言った。「釣りが上手な人のあいだでは」の間違いなんじゃないのか?


ぼくはいま、平日の桜川に行きたい気分です。しかし暑さにめげそうでもあります。

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